昨日よりちょっといい日

昨日より今日がちょっと良くなるように、日々実験した結果を書いていくブログ、にしようと思いましたが、自分の頭を整理するためのチラシの裏と相成りました。

誰もあなたの自殺を止められない

4月は乗り切ったものの、実家に帰ったことをきっかけになんだか今の生活に意味がないように思えて落ち込んでしまいました。病み上がりなのだから元気に暮らしているだけで価値があると思おうとしていたのですが、こんなに毎日苦しくて、それもただ元気でいることを目標にしているだけ、ということになんだかがっくりきてしまいました。大学でうまくやっていけないという根本的な問題が解決する兆しはなく、ただただやり過ごす毎日。これがまた始まるかと思うとどっと疲れを感じます。仕事しすぎず、落ち込まないように気分転換をし、何事も深く考えないように、心を鈍らせることを目標に過ごす毎日。元気になってきたのに贅沢ですが、正直なところ不幸せです。意味があると思えていたからがんばっていたけれど、こんな生活を続けて何かが好転するのか、自信がなくなってきました。

本当に全部に疲れて、死んでしまいたい気持ちです。こういう気持ちはもうここ4年お馴染みのものですが、それでもやっぱり毎回苦しいです。心の中のことは取り出して治してもらうわけにもいきませんから、誰にも助けてもらうことはできません。これを一回一回やり過ごして、生き長らえていくのです。
以前にパニックから首を吊った時は、何も考える間も無くすぐに意識を失いました。ありあわせのストールとタオルでやったので、輪が緩くて無意識に暴れて落下したようでした。気づいたら顔からコンクリートに落ちていて血の海だったので、発見した家族には大変悪いことをしました。その後も手術など大変で、顔に後遺症も残ってしまいました。輪がしっかりしていれば今頃生きてはいなかったはずなので、次はきちんとやれば成功すると安心しています。だからよく考えて行うつもりです(できればやらないつもりです)。きちんとしたロープも買ってあり、お守りとして持っています。もちろん、未遂でこれ以上迷惑をかけないためにも、安易な実行は厳禁です。
人間本当にいつでも死ぬことができるし、誰にも止めることはできないのだなあとあの時思いました。いくら一緒に住んでいる家族でも、四六時中監視しておくわけにはいきません。本当に、決心した人を止めることはできないんです。だから生きていくことも死ぬことも、本当に自分の責任なのだと思います。

死ぬ死ぬ詐欺とか、死ぬって言う奴はほんとには死なないというのは最近よく言われますが、どうでもいいと思います。どっちにしろ、今日生きたか生きなかったか、それだけしかないと思います。
だから、死んでしまいたいと思うことに対して罪悪感を抱くのはやめました。ただの正直な気持ちですし、いよいよの時は私にはそれを実行することもできます。それでいながらとりあえずその一回をやり過ごすというのは、なかなか偉いことじゃあないですか。
死にたいのは甘え、それはそうだと思います。でも本人が死んだ方がマシだと判断する状態は、やっぱり死んだ方がマシなんだと思います。生きるってどうしても主観でしかないから。死にたいほど辛い事を舐め尽くしてまで生きる希望を失わない人は、もちろん尊敬します。本人も、「あー、死にたいの発作が来たなあ。今回もやり過ごさなきゃなあ。」と思っております。暗い事しか考えられない病気ですから、希望が持てない時があっても許してください。

暇なので書いておりますが、死にたいにもいろいろなヴァリエーションがあるなと思います。
まず、ずーんと沈む型。私なんて生きていても仕方がない、この先事態が好転するはずもない、生きているだけで人の迷惑だ、そういう感じです。これは適切な慰めによって立ち直る可能性もあると思います。あと休養とか。
もっと危険なのが、火災ビルから飛び降り型。これは生きているのが拷問に感じられ、もうあとひとつ何かが起きただけで気が狂ってしまう、と感じ、死ぬしかない、と思う状態です。この場合、死ぬのをとても急いでいます。うかうかと時間を過ごしていたら、「何か」致命的な事が起こるかもしれないから。このまま炎で焼き殺されるよりは、今飛び降りよう!という感じです。このケースには、生きてりゃいい事あるさ、という慰めは本当に無意味です。いい事がないのを悲観しているのではなくて、生きている事の一分一秒が凌遅刑で、早く死なないと次の刃が来るから焦っているのです。この時は常にどこかからか襲われる不安でいっぱいでした。
あとは、逆に考えるんだ、死んじゃってもいいさ、と考えるんだ型(適当)です。なんか死が身近になりすぎてしまって、とりあえず本当に追い詰められれば死ねばいいんだから、というなにか明るい境地です。
そして無心型。なんかよく分かんないけど、死んどく?という軽いノリ。死んだら楽になれる、いいじゃん!経験上これがいちばん実行に近いです。いろいろ考えて疲れ、吹っ切れてしまった状態。
そういえば幻聴唆され型もあります。私の場合は、これは寿命だから死ぬしかない、とか、早くこっちへ来い、とかいう声でした。寿命説には本当に納得しかけたので危なかったです。

どうしてこんなに死と隣り合わせなのか、健全な若者としては謎です(まあ病気か)。自殺願望について考えていたらちょっと落ち着いてきました。
いろいろ書きましたがただ楽になりたいのです。死ぬなんて些細な事だと思います。でも生きているのが大事ですね。
背負っている十字架に耐えられなければ死ぬだけです。それを私はもう自然死だと思ってしまいます。両親も、うちの子が耐えられなくて死んだら、それはそういう運命だったと思おうね、と話し合っているそうです。(親不孝すぎて震えます。)我が家の誰も、自殺ダメ絶対、とは騒ぎませんし、諭しもしません。耐えられる限界までは耐えると、私の事を信じてくれています。だから生きている事が私の小さな責任です。