病気が治ってうれしい気持ち
うつ病のサイトはたくさんあるけど、病気が治ってうれしい気持ちを書いたブログってあんまりないなあと思います。
私は幻聴があったり妄想があったり、厳密にはうつ病ではないのですが、とにかく治ってきてうれしい気持ちを最近噛み締めていますよ。
治ってきたといっても、まだまだ何年か薬は飲まなければいけないと言われているし、揺れ戻しもあるのですが、良くなってきた感じがしてとてもうれしいのです。
ただ元気に戻ってきただけなのに、「私にこんないいことが起きるなんて!」という気持ちでいっぱいになることがしばしばあります。
病気になったのがアンラッキーだっただけで、治るのはマイナスがゼロになるだけと言えばそうなのですが、なんだかすごく恵まれてるなァという気がしてならないのです。
そう思ってしまうくらい、具合が悪かった日々は苦しく暗い毎日でした。
島崎藤村の「春の歌」の一節を思い出します。
春はきぬ 春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくくおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし
いつかこんな日が来るといいなあと思って読んだものでした。
本当にさみしくてさむかったなあ!(冬は好きなんですけどね)
客観的に見ればかなり気の毒な状況にいる私ですが、元気な時は私ってなんて幸せなんだろうと思うことがあります。
いい歳して大学にいて、先の見通しはなく、貧乏で、彼氏もいないし、若い楽しい時を病気で棒に振っちゃって、まだこの先何年も病院に通わないといけないのに。
そんなこと全然関係なく、本当にしあわせだな〜と感じる時があります。
布団にくるまって安全にいる時とか、季節の移り変わりを感じた時とか、素敵な人に会った時とか、それとも全く唐突に。
幸せって自分の心が決めるんですね(笑)みつを
外的な条件は関係なく、幸せを感じることができるんですね。心は元気になるとこんな芸当もできるんだなあ。心が勝手に幸せになってるだけですからね。
辛い思いをしたから、日常のなんでもないことを幸せに感じられるんだと言ってしまえばそうかもしれませんが、そう考えるのは何か寂しい気がします。
うまく説明できませんが、苦労したから優しくなれるとか、辛かったから小さな幸せを喜べるとか、手段を正当化する考え方はあまり好きではありません。
病気は辛かったし、やっぱり罹らないほうがいいと思います。
とにかく最近は結構幸せなんです。
落ち込むこともありますし、我に帰ると八方ふさがりなのですが、幸せに思える瞬間にはつくづく感謝しています。
魔法か贈り物みたいだと思います。
ちなみにですが、なぜ治ってきたのかよくは分かりません。明確なきっかけはありませんでした。
合う薬が見つかって、それを飲み始めてからはずっと緩やかに回復してきています。
でもたくさんのことを試したので、何が良かったのかは分かりません。
家族にはたくさん相談に乗ってもらったし、体を動かすようになったし、時間が経っていろいろなことに諦めがついてきたし、ちょっとは信仰も持つようになったし、そんなことがみんな関係しているのでしょうか。
今苦しんでいる方は元気になる希望を捨てないでほしいし、私自身もまた具合が悪くなった時は、良くなっていた時のことを思い出したいと思います。