昨日よりちょっといい日

精神病を持っていても昨日より今日がちょっと良くなるように、日々実験した結果を書いていくブログ、にしようと思いましたがこのありさまです。

どうして今時の若者である私がマジで宗教をやっているのか不思議です

今日はなぜ私がキリスト教を「やって」いるのか、気楽に語ってみようと思います。このブログの雲行きも怪しくなってまいりました。でも宗教に興味のある人も意外といるんじゃあないですかねー?(希望的観測)

 

私がキリスト教を実践するようになって、だいたい1年です。なのでとっても新米ですね。

カトリックの幼児洗礼を受けていたのですが、高校生くらいからはもうミサには行っていなかったし、そもそも生まれてから信仰を持ったことはありませんでした。みんなミサには集まるけど、お付き合いでやっているんだろうと思っていました(笑)こんな荒唐無稽なこと、まさか誰も本気では信じてないよね??と子どもながらに考えていました。(妹は敬虔な信者だったらしく、大学生の頃、信仰なんて持ったことないと言ったら、どおりで悪い人だと思ってたよ!と言われました。びっくり。)

 

それが再びキリスト教を採用するに至ったのは、楽に生きるためのよくできたテクノロジーだと思ったからです。

いいことかどうか分かりませんが、私はちょっとこう利用するみたいなスタンスで宗教に関わっています。

絶対に自分を愛してくれていて、肯定してくれて、何でもしてくれる力のある存在って、いた方が生きやすいと思いませんか?

その人にはいつ話しかけてもよくて、何を言っても絶対に大丈夫なんです。

 

子どもの頃に習っていた神はもっと厳格で、悪いことをしないか見張っているって感じだったので、そんならいない方がいいやと思って、いないことにしたのでした。

でも大人になってから勉強し直した神はもっと慈愛に満ちていて、しかもフレンドリーな存在でした。

いつでも一緒にいてくれて、頼めばいつも助けてくれることになっています。

神に対して何を言ってもいいということもだんだん分かってきました。キリストでさえ、エリエリレマサバクタニと言っていますからね。

文句を言っても全然オッケーです。神に対して言うのである限り、彼を憎んでもオッケーだと思います。

なので苦しい時、自分を責めるのではなくて神を責めるようになりました。

苦しくてどうしようもない時、なぜ助けてくれないのかと詰ることができます。そうしていると、ふっと気が楽になる瞬間が訪れるんです。

ちょっと緊張するときなんかも一人ではなくて、一緒にいて助けてくださいと頼むことができます。

そういう人っていてくれた方が楽じゃないですか。神を相手に話せるおかげで、他の人を煩わせることが少なくなりました。

 

こんな風に私は結構自分に都合よく信じていると思います。

十戒なんかも楽に守れるやつしか守っていません。

実際信じているかもよく分からなくて、いることにしてるだけかもしれません。

でもそのおかげで楽に暮らせるなら、神は別に怒らないんじゃないかと思っています。

自分を絶対的に愛してくれている存在があるということだけは、いつの間にか信じていました。

罪とか罰とかじゃなくて、一緒に生きる相手として、神に信頼しています。(そんなに信頼してない時もあります、もちろん。)

 

私の母親は敬虔な信者で、いつも迷いなくあっけらかんと暮らしています。(信仰のせいもあるかもしれませんが、彼女の持って生まれた性格のせいであるところが大きいと思います。)

去年とても辛かったときに、その彼女が、祈れれば楽になると勧めました。

私は祈り方なんかさっぱり分からなかったし、信仰も全くなかったので、とりあえずそんなにいいものならその信仰をくれるようにと祈ってみました。

そうしたらいつの間にか自然に与えられていました。

信仰さえ自前じゃあなくてあっちからくれるんなら、本当になんでもくれるんだろうなあと思いました。

 

私はもともとキリスト教っぽい環境の中で育ったから、何か精神的な必要が生じたときにそれを採用することになりましたが、仏教とかマインドフルネスとか、いろんなものがいろんなやり方で生きるのを助けてくれるんだと思います。

その中でキリスト教のウリは、神との関係が気楽で親密だってことじゃないかと今は考えています。

そんなこんなで、キリスト教を日々の暮らしによりよく活用するためのテクニックを学んでいるところです。

 

私の神は私が病気になったのを放っておいたって感じがするし、今も苦しんでいることをなかなか解決してはくれないけど、なんか許せる気がします。

神がなんとかしてくれるだろうと思うことが多くなったので、あんまり焦らなくなりました。

悩んだ時も自分の中でぐるぐる考えるんじゃなくて、訴える相手がいるから、あまり堂々巡りしません。

神ってやつを採用するのも、なかなかいろんな利点があると思いますよ。

でも私の(ちょっとしかない)信仰は、いつの間にか与えられたものなので、どうやったら信じるようになるのかはよく分かりません。

 

自分でもいつの間にか宗教的になったのが本当に不思議です。

別に布教もしてませんし、人から変な目で見られるような言動もしてません。ついでに言えば日曜日も大抵普通に友達と遊んでいます。

ただ私の中でだけ、世界の受け止め方が変わったなーと感じています。

 

今回は微妙な話題でしたし、全然うまく書けませんでしたが、私の日常はこんな感じです。

元気になってきたのは宗教的な習慣のおかげでもあるなーと思ったので、書いてみました。