病気になる前となった後
うつ病などになった人たちは、その後の人生をどう過ごしていくのでしょうか。
病気になる前と全く同じように生きるというわけにはいかないと思います。
生活なり考え方なりに無理があったから、それを変えてほしくて体が病気の症状を出すのだという説明もありますよね。
病気の前とは何かを変えて、それでも同じように充実して暮らしていくことはできるのでしょうか。
私は病気になってからこちら、なんだか人生に張り合いがなくなってしまいました。
がんばる目的がなくなってしまったという感じです。
病気になる前はたしかにがんばりすぎていたと思いますが、目標に向かって日々クリエイティブに過ごすのはとても楽しかったです。
物の考え方も偏狭だったかもしれませんが、迷いがなくてシンプルでした。
病気になって学んだこともたくさんあるけれど、以前の価値観が揺らいでしまって苦労しています。
これからまた価値があると思える目標を見つけ、それに向かっていく生活ができるようになるのか不安です。私はそういう生活をしたいのです。
病気になって、それまでの目標まで否定されたような気がしています。
間違ったものを求めていたかもしれないし、がんばり方もいけなかった。だから病気になったのかもしれません。
健康が何より大切なのはよく分かったけれど、健康を目標にする生活には結構うんざりしてきました。
何か欲しいものやなりたい自分があって、それに向かって創意工夫していくような生活が送りたいです。
でもそれまで目指していたものを修正しなければいけなくなったので、新しい目的地が見つからず悩んでいます。
バランスのとれた人間では全くなく、とにかく良い研究ができるようになりたかったのでした。
友達付き合いは嫌いだったし、趣味も持っていませんでした。
病気になってから勉強ができなくなったので、その分他のことをするようになりました。運動の楽しさも多少は感じるようになり、友達の有り難さも身に染みて分かりました。精神的な生活にも目覚めました。
そういう点では私の生活はとても豊かになりました。
映画なんかだとこれは完全肯定でハッピーエンドまっしぐらですよね。仕事人間だった主人公が、事故/失業/記憶喪失などなどによって人生の豊かさに気づき、人間味のある人に生まれ変わって家族や友達に囲まれて幸せに暮らす…みたいな超よくある話ですよね。
でも私の場合はいまのところ、周辺の素晴らしいものにはたくさん気づけたけれど、真ん中ががらんどうっていう感じです。
軸がなくなっちゃっても、周りを粘土で固めていけば立っていられるんでしょうか。
道端の花を楽しめるようになったけれども、目的地は見失ってしまいました。
もしこのまま自分の生き方が分からなくても、あと50年楽しく暮らせるくらい人生には素晴らしいものが満ちていると思います。
でもやっぱり、何か明確な目的が欲しいのです。どんな人になりたいのか自分で分かりたい。
それがないことがとてもさみしく、何をしても大して意味があると思えません。そのことから気を紛らわせるための良いものはたくさん見つけたけれど…。
これからどうなっていくのか、様子を見守ろうと思います。