症状の重かった時をどうやり過ごしたか(箇条書きのところだけ読んでください)
症状が重かった時期は毎日が地獄でした。
あまりはっきりとした記憶もありませんが、どうやってやりすごしていたのか、思い出してみようと思います。
(重いうつ病を患った友達も、辛かった時期の記憶がないと言っています。辛い思い出は体が排除してしまうのかもしれませんね。)
最初に具合が悪くなったのは、平成24年の春ごろでした。
東京で一人暮らしをしていました。論文を書くだけだったので、学校に行かなければいけないということはありませんでした。
とにかく何かに怯えて暮らしていて、夜眠れず、少し眠っては朝3時ごろに目を覚ます生活でした。携帯の電源は切って、家に閉じこもっていました。
落ち着かないときは子どものころに好きだったアニメを流したりして、居ても立ってもいられないときは夜中でも散歩に出かけて歩き回っていました。朝4時くらいから人々は犬の散歩をしているのだということを知りました。
友人に連れられて精神科にかかってからは、薬の副作用の便秘と喉の渇きなどと戦っていたら一日が終わっていました。やる気が出る系の薬を出されていたのですが、今思えばびくびくしていたことのほうが辛かったので、そちらの薬なら良かったと思います。
平成24年の夏ごろ、実家に帰りました。
実家に帰ったのでちゃんと暮らさなければと思い、家事や運動をがんばっていましたが、それが裏目に出て悪化。
帰って二週間後くらいにパニックを起こして自殺未遂をしてしまい、総合病院の救急に運ばれました。悪いきっかけですが、総合病院にかかることができたのはその後の治療にすごく良かったと思います。
それから全身の怪我が治るまでは、怪我の治療に専念して心穏やかに過ごせました。あと手術に怯えて暮らしていました。体がぼろぼろになったことで心とのバランスが取れたような、不思議な感じでした。顔を骨折して目が開かなかったのですが、目の見えない生活はとても心が落ち着きました。たぶん、本当に何もできなくなったので、何もしなくていいのだと安心したのだと思います。
怪我をした時のカタルシスは大変素晴らしいものだったので、その後何年も自殺への誘惑は続きました。
それからは自室で寝て過ごしました。
毎日は辛いものでしたが、強い頓服を飲んでもよかったので、我慢しすぎず薬に頼って暮らしていました。
無理に家族と顔を合わせなくてもいいと言ってもらったので、部屋に引きこもっていることが多かったです。
気分転換をしようにも頭が全然はたらかず、ただ涙を流していたら夜が来て、また睡眠薬が飲めるなあという感じでした。
少し良くなってきたら、好きな洗濯を一日の仕事にしました。洗濯が干せればその日はオッケー。
あと、庭の草むしりも無心になれるのでよかったです。
それからはいろいろな薬を試しながら、効果や副作用に振り回されながら、なんとか時間を過ごしていきました。
結局、具合が悪かった時に助けになったことは
・ぼんやりできる薬を遠慮せず飲む
・草むしり
・洗濯(何か仕事をしている感をもてる)
・猫の世話(役に立っている感じがする)
・家族に話を聞いてもらう
・肩をもんでもらう
などでした。
もっと元気になってきたら
・漫画をたくさん借りて読む
・気分の良い時に出かける
・馬に乗る
ことも、時間を早く経たせるのに役立ちました。
テレビは、元々見る習慣がなかったし、音が苦痛だったので役に立ちませんでした。
平成26年の6月には、いいかげん論文書かなきゃという気になるまで回復して、午前中だけ研究しながら、12月に修士論文を提出することができました。資料は読んであとは書くだけだったので、具合が悪くてもなんとかできたのだと思います。
結局1年半ごろごろしていたのかな?本当に記憶が曖昧です。
これで完全に元気になったと思ってしまい、平成27年4月から病気になる前と同じノリで大学に戻ってしまったため、6月にダウン。
緊張感が取れない、眠れない、食べられない、常に誰かに見られている気がするなどの症状でした。
実家に帰っても症状は良くならず、むしろ悪化して幻聴が出たので、また件の総合病院を受診。医師が変わっていて不安でしたが、結局この先生がうつ病より統合失調症寄りの薬を出してくれたことが幸いして現在に至ります。その薬に切り替わったのが9月だったので、それまでの6~8月は地獄でした。
それをやり過ごすためによかったことは
・歩き回る
・眠れそうな時は昼間でもどんどん寝る(夜にこだわらない)
・少しでも安心できる、眠れそうな場所で眠る(人の部屋でも借りちゃう)
・家族に辛さを訴える
・頓服をがんがん飲む
・簡単な小説を読む
などでした。
本当に頭がおかしくなりそうでした。毎日、また新しい一日をどうやって乗り切ったらいいのか途方に暮れていました。一日でもいいから意識を失わせてくれて、完全に休ませてくれたら、またしばらく我慢できるのだけどと思っていました。
今思えば、もっと家族におおげさにアピールしてもよかったなと思います。どれだけ本人が追い詰められているかということは周りには分かりにくく、またみんなも自分の生活があるので、サポートを得るには大げさなくらい訴えないといけないのではないでしょうか。
辛いことが続き過ぎて、どれくらい我慢すればいいのかのメーターがぶっ壊れてしまうと思います。自分が思うよりもう一段階エマージェンシー度を引き上げて伝えるくらいが丁度いい気がします。
新しい薬になってから徐々に症状は治まり、平成28年の4月からまた大学に戻れるようになりました。こんどは手厚いサポート付きで、薬も止めず、自分も用心して。
そうして一学期経ったのが今です。
ただ病気の期間を振り返っただけになってしまいました。。。
本当に記憶がぼんやりしていて有益な情報が掘り起こせない…!
私など病気としても軽い方だったと思いますが、完全に死んだ方がましな苦しみでした。今つらい方のためにお祈りいたします。
こうして振り返ってみると、まだまだ油断はできないなあと、気を引き締めたのでした。