昨日よりちょっといい日

統合失調症でも昨日より今日がちょっと良くなるように、日々実験した結果を書いていくブログ、にしようと思いましたがこのありさまです。

病後休みほしくない?

だんだん元気になってきたダンボ(わたくし)ですが、まだ次のステップに進みたくない…!

 

疾風怒濤の精神病から回復したみなさまは、すぐ「次行ってみよー!」ってなるもんなんですかね??

私はまだ全然休みたいよ!!!

まだがんばりたくない!

次の困難に立ち向かいたくないよ!

病気大変だったね〜、闘病で疲弊したからよく休もうね♡って言ってほしい!!!

 

つい最近までは、私が出来損ないなせいで病気なんかになって迷惑かけてごめんなさい…働けなくてごめんなさい…と思いながら小さくなって暮らしておりましたが、

いやいや、病気ってただの災難じゃね!?災難に遭った人には優しくしてくれてもよくね!?

と思うようになってきました。だいぶ元気になってきたな笑

 

本当に本当に辛くて苦しくて、その苦しみに休日はなかったので、今こそ休息がほしいよ!!!

病気の時も「休んで」はいたのですが、休息はしてませんでしたよ、のたうちまわってた。

だから今こそお休みがほしいのです!

 

なかなかそうもいかないけど、ここでは本音を書いておきます。

闘病生活のご褒美みたいなものがほしいな!

みんなはそんなこと思わないんですか?立派すぎるぜ。

停滞しております

 なんにもしたくない日が二週間くらい続いております。バイトが終わって暇になってから、どんよりと暮らしています。のんびりと暮らせるといいんですけどね。

本を読んでもおもしろくないし、ゲームをするのも大変だし。まあ家事はかなりやっています。

何をする気力もありません。

布団に転がってネットを見ることしかできません。ネット見たっておもしろくもないんですけどね。

今日は起き上がってキーボードを叩いているので、まだしも活動しています。

月末から大学生活に復帰できるのか心配です。

 

朝起きると、今日もまたぼんやりした一日が始まるのかーと憂鬱です。

でも何もできないんですよね。

なんだか力が入らないというか、どうせあと40年くらいで死ぬんだから流していこうというか、そんな感じです。

もっと楽しく過ごせればいいんですけど、何が楽しいのか忘れました。

 

家事はしていますし、家族の世話も焼いております。

とっても虚しいだけです。

 

元気は元気だと思うんですけど…。

7、8月に働いた疲れが出たのかな??

 

暇なのがいけないんでしょうけどね。

でも予定が入るのが嫌なんです。

 

文章もだらだら締まらない感じでお送りしております。

 

本当に全然力が入らないよ~。

頭が働かないし、集中もできないし、今したいことは、とにかく誰かに話を聞いてもらうことです。

いっつも聞き役にされちゃうけど、誰か聞いてくれ…。

 

どっちに動いても辛そうだから、どこにも動きたくないよ~~。

 

ここからどうやって元気になるのか、どうせ元気になるでしょうから、また新しい知見を得てしまいますなあ。

たまったメールでも返信しますか。

精神的アレルギー反応に困っている件

相変わらずのチラシの裏です。

いろいろ振り返ってみると、私の頭には重大なバグがあるようなので、そのことについて書きます。

似たような問題を抱えている人に会えればいいな。今のところ、参考になる本などが何もない状態です。

 

どうも自分は、特定の状況下において、困難を人よりずっと大きく感じるようです。

周りの人が地面に描かれた一本線の上を渡っている時、私だけ峡谷に渡された一本の綱の上を渡っている感覚になっている気がします。

何か心にエラーがあって、ないはずの危険に反応しているような感じです。

 

最初に苦労したのは大学受験の時でした。

1年次から成績が良く、ずっとA判定だった大学を順当に目指していたのですが、3年になってから受験への恐れで勉強に手がつかなくなり、秋からは毎日机に向かって泣いていただけでした。

成績良好にも関わらずです。

勉強しようとすると涙が止まらず、特に夜は発狂しそうでした。死んだら楽になるのにと思っていました。

受験の申し込みも怖くてできず、家族に連れられて無理矢理手続きをしました。

うまくは書けませんが、全然正常な状態ではありませんでした。

受験当日になると落ち着いて受けることができて、点数的にもかなり余裕で合格しました。

しかし最後まで自分をコントロールできなかったので、自分はなんて精神の弱い駄目な人間なんだろうという罪悪感が残りました。

今思えば、普通の人の受験辛いとはちょっと違う、異常な反応だったと思います。

いろいろな本を読んで嫌なことに取り組む方法を調べ、たくさんお説教もされましたが、理性でどうなる恐れではありませんでした。崖に立たされて一歩踏み出せと言われているような感じでした。

勉強はもともと好きで、ちっとも苦にしたことはありませんでしたのに。

 

次に苦労したのは卒論を書く時でした。

構想を褒められ、調べ物をし、背景を書くところまでは順調だったのですが、いざ自分の論を書くとなると一文字も書けませんでした。

どうがんばっても一字も書けません。

いろんな人に相談もしたのですが、パソコンに向かうと心が辛くなって何もできませんでした。

どうしようもならなくなってから、実家に帰って2週間で無理矢理書き、なんとかできました。

できた論文はとても良い評価をもらいました。

この時も、自分はなんて駄目な人間なんだろうという思いが残りました。

 

三度目は修論の時でした。

同じ轍を踏むまいとかなり早くからあれこれ準備をしていたのですが、全く同じようになって失敗。

とうとう精神を病んでしまいました。

しかしこれもまた完成品はとても良い評価をもらったのでした。

 

なんか完全に無駄な血反吐を吐いて成功するっていうパターンができてしまっているのですが、これ以上これを繰り返すのは嫌だなあと思います。

ちゃんと自分でコントロールできることがやりたいです。

 

このような失敗から、自分は根性なしのクズ野郎だと思っていたのですが、いろいろ考えるに、根性が足りないのではなくて、状況の認識にエラーがあるのではないかと思えてきました。

同じことをみんなわりと平気にやれているようだから。

そして、私はこの妙なエラーが発動しない時は着実に仕事をする努力家だからです。

留学先で全単位を取る方がはるかにキツかったのですが、その時は徹夜続きでがむしゃらにがんばれました。

コツコツやれば余裕そうな時ほど、何かエラーが起きて発狂してしまうのです。

 

この認知のバグが修正できないと、これからも他の人が普通にできること、しかも本来なら自分も余裕でできることに七転八倒することになるのだろうと憂鬱です。

しかしどうやって修正したらいいのか分かりません。

 

ただ、自分には決して根性がないわけではないと思えたことだけはよかったです。

みんなに見えてる地面が見えなくて、それでも渡ってきたんだと思います。

 

高所恐怖症の人がいるように、人それぞれ怖いことはあるのが普通です。

でも私の場合は人生にヒドイ損害になりそうな恐怖症なので、できれば治していきたいです。

もし無理なら、自分が安心できることだけやって生きていけるように、道を探すつもりです。

せめて何に反応するのかだけでも知りたいものです。

 

こういうことにお詳しい方はコメントいただければ幸いです。

「どうせわたしなんか」問題

どうして研究のやる気が出ないのか、じつは分かってるんです…

それは「どうせわたしなんかやってもだめだ」と思っているから。

これに尽きます。

 

うまくいかなそうだからやらないって、すごくヒキョウな感じがしますが、それは分かっていてもどーしても力が入らないんです!

 

これの「どうせわたしなんて」をどうやって克服するのか、ネットで調べてもなかなかでてきません。(すぐなんでもネットで調べる)

とりあえず、なぜそんな考えをもってしまったのか、どうすればいいのか、自分で考えたことをまとめてみようと思います。

「自己効力感」を高める、というのがいちばん近そうだったので、そのことに少し触れます。

 

どうして「どうせわたしはだめだ」と思ってしまったのか?

1.失敗体験

厳しい先生について、ハードルを上げてダメだしされまくったので、心が折れてしまったというのがあります。心弱すぎるな!

後になって、よい論文だった、期待していたので厳しくなった、十分やっていた、とフォローされましたが、後の祭り。なんとかここから立ち直らなければ!

 

2.目標設定が高すぎる

昔から眼高手低なところがあって、これくらいできなければダメだという自分ハードルが高すぎる。周りの人がよくできるので、それを目指してしまう。自分の親がうまくやっているので、親と比べてしまう。

目標設定が高すぎると、「だめ」判定になりやすくてよろしくないですよね。できるところからコツコツが理想なのですが、なかなかそうできません。

 

3.もともと自己肯定感が低い

いくら褒められても自信がつかない。ダメ出しは10倍に受け取る。とてもめんどうな学生です。(その自分と最悪な相性の教官についてしまいました。)

実際いろんな方に「あなたならできる」と言ってもらっているのですが、卑屈な自分がなかなか変えられない。

 

超できる人は「自分にできるかどうか」考える間もなくできちゃっているのでしょうが、私のような劣等生は劣等感と戦っていかなければなりません。とほほ。

 

どうすれば「どうせ」を克服できるか?

案1.他の動機を見つける

自分はつまらない奴でも、誰かがやらなければならない仕事なら、つまらない自分でも精一杯やるしかない!……残念ながら、やってもやらなくてもいい研究なのでこの案はつかえそうにありません。自分よりもっとできる人がやった方が、世のため人のためになる。

または、上手にできなくてもどうしてもこれがやりたい!……残念ながら、そこまでの情熱はありません。上手にやりたいよう。

 

案2.「どうせ」を言い訳にしない強い心を持つ

それができれば苦労はしないのだが……いまのところ現実的ではないので没。

 

案3.小さな成功を積み重ねて自信をつける

塾などで教えていて、自分は勉強が苦手だと思っている子どもに出会ったときは、この方法を採ります。できる問題まで遡って、解ける体験をしてもらう。そうするとやる気を出してくれることが多いです。

自分相手にもこの方法ができるかな?

ちなみに「OKラインメソッド」というものが役に立ちそうなので、以前読んで感心した記事のリンクを貼っておきます。

www.lifehacker.jp

長いブランクの後で修士論文を書いたときはこの方法を使ったのでした。

1日15分書ければOKというところから始めて、少しずつ延ばしていって結局完成できました。

あのプロセスをまた踏めばいいのかな…?

こんどはどんな小さなステップを用意すればいいのか、考えております。

 

案4.無理にニガテなことをせず、他のことをしよう

じゃあ何ならできるのか、であります。要検討。

周りのみんなは「あんた普通にできるじゃんwww」と言っている…ここから逃げたらもっと苦手な仕事が待っているってことだろうか。

できなさそうだから諦める、を繰り返さないように、よく考えてから選びたい道です。

 

ネットで知った自己効力感

うまくまとまったサイトがないので、リンクがなくてすみません。

「自己効力感」は、「自分はやればできる」という信念のこと。

これが低いとやる気が出ないそうです。まさに「わたしなんか」状態。

 

「自己効力感」を高めるには、諸説ありますが

1.成功体験を積み重ねる

 ★そのために適切な目標設定をする

2.他人の成功を追体験する

3.自分に肯定的な言葉をかける

などの方法があるそうです。

 

もちろん1がいちばん効果があって、特にできるかできないか五分五分の目標を達成することがよいのだとか。

 

大きな目標を小さな小さなステップに分解して、それをこなしていけるような超具体的な計画を立てられると、必要な作業をしながら自己効力感を高めていけるのではないでしょうか。

どうも計画を立てるのが苦手で。自分にもできそうな計画を立てることをもっとがんばろうと思いました。

 

 

いろいろ考えた結果、いまできそうなことは、「超スモールステップの具体的な計画を立てること」であるような気がします。

そのやる気がでねーんだわ!!!!という思いもありますが、なんとかやってみようと思います。

 

 

 

これを考える時にいつもぶつかるのは、カウンセラーやお医者さんからの「嫌なことはやるな」という指令です。

じゃあやらないほうがいいのかな?

でもごろごろする毎日もつらいし…。

実際なにもやらなかったらこの先どうなるんだ…。

就職のほうがもっと嫌かもしれないじゃん…。

などという消極的な動機から、ちょっとは仕事できないかなーと模索しているわけです。なのでまだまだ全体的にぐだぐだです。

できればやる気に満ちていた頃を取り戻したいなあ。

 

余談ですが、うつ病などから回復しても、その後の生活でがんばれない、張り合いがないと悩んでいる人をネットで結構見かけます。やっぱり回復後も難しい問題があるのだなと気を引き締めました。

症状の重かった時をどうやり過ごしたか(箇条書きのところだけ読んでください)

症状が重かった時期は毎日が地獄でした。

あまりはっきりとした記憶もありませんが、どうやってやりすごしていたのか、思い出してみようと思います。

(重いうつ病を患った友達も、辛かった時期の記憶がないと言っています。辛い思い出は体が排除してしまうのかもしれませんね。)

 

最初に具合が悪くなったのは、平成24年の春ごろでした。

東京で一人暮らしをしていました。論文を書くだけだったので、学校に行かなければいけないということはありませんでした。

とにかく何かに怯えて暮らしていて、夜眠れず、少し眠っては朝3時ごろに目を覚ます生活でした。携帯の電源は切って、家に閉じこもっていました。

落ち着かないときは子どものころに好きだったアニメを流したりして、居ても立ってもいられないときは夜中でも散歩に出かけて歩き回っていました。朝4時くらいから人々は犬の散歩をしているのだということを知りました。

友人に連れられて精神科にかかってからは、薬の副作用の便秘と喉の渇きなどと戦っていたら一日が終わっていました。やる気が出る系の薬を出されていたのですが、今思えばびくびくしていたことのほうが辛かったので、そちらの薬なら良かったと思います。

 

平成24年の夏ごろ、実家に帰りました。

実家に帰ったのでちゃんと暮らさなければと思い、家事や運動をがんばっていましたが、それが裏目に出て悪化。

帰って二週間後くらいにパニックを起こして自殺未遂をしてしまい、総合病院の救急に運ばれました。悪いきっかけですが、総合病院にかかることができたのはその後の治療にすごく良かったと思います。

それから全身の怪我が治るまでは、怪我の治療に専念して心穏やかに過ごせました。あと手術に怯えて暮らしていました。体がぼろぼろになったことで心とのバランスが取れたような、不思議な感じでした。顔を骨折して目が開かなかったのですが、目の見えない生活はとても心が落ち着きました。たぶん、本当に何もできなくなったので、何もしなくていいのだと安心したのだと思います。

怪我をした時のカタルシスは大変素晴らしいものだったので、その後何年も自殺への誘惑は続きました。

 

それからは自室で寝て過ごしました。

毎日は辛いものでしたが、強い頓服を飲んでもよかったので、我慢しすぎず薬に頼って暮らしていました。

無理に家族と顔を合わせなくてもいいと言ってもらったので、部屋に引きこもっていることが多かったです。

気分転換をしようにも頭が全然はたらかず、ただ涙を流していたら夜が来て、また睡眠薬が飲めるなあという感じでした。

 

少し良くなってきたら、好きな洗濯を一日の仕事にしました。洗濯が干せればその日はオッケー。

あと、庭の草むしりも無心になれるのでよかったです。

それからはいろいろな薬を試しながら、効果や副作用に振り回されながら、なんとか時間を過ごしていきました。

 

結局、具合が悪かった時に助けになったことは

・ぼんやりできる薬を遠慮せず飲む

・草むしり

・洗濯(何か仕事をしている感をもてる)

・猫の世話(役に立っている感じがする)

・家族に話を聞いてもらう

・肩をもんでもらう

などでした。

 

もっと元気になってきたら

・漫画をたくさん借りて読む

・気分の良い時に出かける

・馬に乗る

ことも、時間を早く経たせるのに役立ちました。

テレビは、元々見る習慣がなかったし、音が苦痛だったので役に立ちませんでした。

 

平成26年の6月には、いいかげん論文書かなきゃという気になるまで回復して、午前中だけ研究しながら、12月に修士論文を提出することができました。資料は読んであとは書くだけだったので、具合が悪くてもなんとかできたのだと思います。

結局1年半ごろごろしていたのかな?本当に記憶が曖昧です。

 

これで完全に元気になったと思ってしまい、平成27年4月から病気になる前と同じノリで大学に戻ってしまったため、6月にダウン。

緊張感が取れない、眠れない、食べられない、常に誰かに見られている気がするなどの症状でした。

実家に帰っても症状は良くならず、むしろ悪化して幻聴が出たので、また件の総合病院を受診。医師が変わっていて不安でしたが、結局この先生がうつ病より統合失調症寄りの薬を出してくれたことが幸いして現在に至ります。その薬に切り替わったのが9月だったので、それまでの6~8月は地獄でした。

それをやり過ごすためによかったことは

・歩き回る

・眠れそうな時は昼間でもどんどん寝る(夜にこだわらない)

・少しでも安心できる、眠れそうな場所で眠る(人の部屋でも借りちゃう)

・家族に辛さを訴える

・頓服をがんがん飲む

・簡単な小説を読む

などでした。

本当に頭がおかしくなりそうでした。毎日、また新しい一日をどうやって乗り切ったらいいのか途方に暮れていました。一日でもいいから意識を失わせてくれて、完全に休ませてくれたら、またしばらく我慢できるのだけどと思っていました。

今思えば、もっと家族におおげさにアピールしてもよかったなと思います。どれだけ本人が追い詰められているかということは周りには分かりにくく、またみんなも自分の生活があるので、サポートを得るには大げさなくらい訴えないといけないのではないでしょうか。

辛いことが続き過ぎて、どれくらい我慢すればいいのかのメーターがぶっ壊れてしまうと思います。自分が思うよりもう一段階エマージェンシー度を引き上げて伝えるくらいが丁度いい気がします。

 

新しい薬になってから徐々に症状は治まり、平成28年の4月からまた大学に戻れるようになりました。こんどは手厚いサポート付きで、薬も止めず、自分も用心して。

そうして一学期経ったのが今です。

 

 

ただ病気の期間を振り返っただけになってしまいました。。。

本当に記憶がぼんやりしていて有益な情報が掘り起こせない…!

私など病気としても軽い方だったと思いますが、完全に死んだ方がましな苦しみでした。今つらい方のためにお祈りいたします。

こうして振り返ってみると、まだまだ油断はできないなあと、気を引き締めたのでした。

体が良くなったから、心も良くなるかも

ときどきしか書かないのに、★を押してくださる方々、ありがとうございます。励みになります!

 

最近ちょっと暗いことを書いていたのですが、いいこともちゃんと起きていることをご報告します。

それは、体力がほぼほぼ病気前と同じくらいまで戻ったことです。

なんだかすごく疲れやすいっていうのは、精神系の疾患の主症状のひとつですよね。あまり意識してはいなかったのですが、最近疲れにくくなってきたことを発見しました。

 

具合が悪い時はこんな感じでした↓

・そもそも起き上がれない

・簡単な家事も休み休みやる

・二時間映画を見るのが無理

・いくらでも眠れる

・だいたいいつも熱がある

(・常に頭の中で声が聞こえてうるさい、布団の周りを動物のような何かがぐるぐる回って様子を伺ってくる など、HPを削る不思議現象が起きていた)

まあみなさんこんな感じになりますよね?病気なんだなーと思っていました。

 

ちょっと元気になって動き始めた時はこんな感じ↓

・出かけた次の日は必ず寝込む

・人と会う約束は一週間に一回が限界(寝込む)

・とにかく定期的に寝込む

・二週間に一回は風邪を引いて寝込む

・馬に一鞍乗れない、夜中に痛みで目覚める筋肉痛

この時はすでに、動けるようになった!元気!と思っていたのですが、今から振り返るとまだまだですね。

 

最近はこんな感じ↓

・風邪をひかなくなってきた

・寝込まない

・3日続けて朝から夕方まで働いても大丈夫

・人と会っても調子を崩さない

・体調が怪しくなってきても、一晩寝れば治る

・馬に二鞍乗れて、筋肉痛もほとんどない

なんと!そういえば元気なときはこんなに快適だったのだなあと思い出しました。しょっちゅう熱を出して寝込むことをもう受け入れていたのですが(二年くらい続いていたので)、なくなってみるとなんと快適!

寝てばかりいた時に落ちてしまった筋肉も戻ってきたようです。

身体の調子にお伺いを立てなくても済む暮らしは楽ですね。

もっともっと活発に暮らして、生まれてこのかたついたことのない筋肉というやつもつけてみたいです。

まああまりはりきるとカウンセラーからストップがかかるのですが。

 

余談ですが

カウンセラーは本当によく私の手綱を引いてくれています。

私はちょっと元気になると、やった!なんかしよう!となる方なので、それを戒めてくれます。

不調があっても気のせい気のせいと片付けてしまいがちなところも、注意してもらっています。(カウンセリングは尋問のようです)

私が全然自分から不調を訴えないので(でも顔色は悪いらしい)、精神科のお医者さんはよっぽど悪い・病識がないのかと疑っていたようなのですが、それもカウンセラーさんのおかげで解消されました。

単に鈍感で我慢強い患者だということで落ち着いたようです。

 

身体については、治ったと思ったところからもう一段階よくなったので、ほくほくです。病弱な感じで生きていくんだなあと受け入れていたのですが。

だからこれからも何か更に良くならないとは言えませんね。

精神的なことは、精神的なので自分でよく分かりませんが、何か今より良くなってくれればめっけものです。

具合が悪い時も、サイテーの時も、これが私なんだなあと思ってきたので、あまり断絶は感じません。でも確かに病気ではあったので、「良く」なるんだろうと思います。

 

それにしても、自我に関わるところが病気なのは本当にややこしいものです。足が悪いなら足が悪いんだなあで片付きますが、精神の病気だと私が「私」と思うもの自体が病気なので、切っても切れないというか、病気ってことがいまいち分からないというか、不思議なことになってしまいます。

ついつい意志でなんとかなるのではないかと思ってしまって、それは苦しいことでした。

自分の意識、考え、気持ちも、自分がすべてコントロールしているわけではないのだなと最近では分かるようになりました。

 

なんだか話が逸れてしまいましたが、体がぐんぐん良くなってきたので、心ももっと良くなるかもしれないなーという明るい話題です。

体が良くなったのも、本当に、いつの間にかでした。

時は味方だなと思います。

 

病気のみなさん、きっと良くなります。

やる気が起きない問題

ご無沙汰しております。一気に秋らしくなってまいりました。こうなると夏の暑さも恋しくあります。暑さのピークがあんなに短いのだったら、遠慮せずクーラーを使うのだった。

 

塾のアルバイトがほぼ終わって、自由な時間が増えました。

これで研究ができればいいのですが、やる気が起きず机に向かえていません。残念。

以前は寝食を忘れて本を読んだものですが、あれはどこへ行ってしまったのか。

最近では本を開く気にもなりません。先月は活字を1ページも読まずに過ごしましたが、生まれて初めての事かもしれません。

本が好きだったのは勘違いだったのか、これからどうなるのか不安です。

 

カウンセラーは、本が好き・研究がしたいという気持ちは親からの刷り込みで、私自身の望みは違うのではないかと仄めかしていました。

そうだとしたら、私の二十数年間は何だったのでしょう…。

当然この世でいちばん大切だと信じていたことに価値が見出せなくなったので、何をしても無意味という脱力感がすごいです。

何か他に大切に思える価値が見つかればいいのですが、何をしても虚しく、まあまあ人のサポートをしながら暮らしています。

大人はこんな感じに宙ぶらりんに暮らすものなのでしょうか。まだ生き甲斐を諦めて生活を構築する決心がつきません。

家族は、もっと元気になればやる気も出るさと言ってくれるのですが、私は本当か、元々そんなものはなかったんじゃないかと疑っています。

 

忙しくしていればこんなことに悩まなくて済むので、早く就職してただただ日々を暮らすようにするのが正解なのかと定期的に思います。

なんでも目の前のことに打ち込む方なので、そこそこ充実して暮らせるはずです。

でも、あんなに毎日が輝いていた、明日は何を勉強しようかとわくわくしていた頃にはもう戻れないのかと悲しく思います。

読む本がたくさんあって、知らなきゃいけないことがたくさんある幸せ。苦しいけれど頭を使って新しいものを生み出す幸せ。自分の世界がある幸せ。そういうものをまた味わう日が来れば、他に望むものはないのですが。